仰木彬氏逝去

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2005/12/16/01.html
 1988年の10.19、1989年のブライアント4連発、混戦のパリーグ制覇、1990年野茂のトルネード、1994年イチローの200本安打、1995年がんばろうKOBE、1996年悲願の日本一、どれも鮮明に覚えています。
 なにより野茂、イチロー、長谷川などMLBでも大活躍する選手を次々送り出したのも印象的ですね。
 名将のご冥福を祈ります。

#実は、私の就職が1988年で、10.19の日は東京出張、あの第2試合は、帰りの新幹線でラジオできいていました。8回裏のロッテの同点ホームランや、10回表のダブルプレーで勝利がほぼ無くなったときの何ともいえない空気を覚えています。翌年のパリーグ制覇を決めたダイエー戦は土曜日ということもあり、ずっとTVで見ていました。あの3連勝4連敗の日本シリーズは10日間の札幌出張中で、問題の第7戦もずっと見ていました。
 1994年にオリックスの監督に就任したとき、パンチとイチロー命名は、さすが仰木さんと思い、くすぶっていた前任者の時代とは全く違うオリックスができるのでは思いましたが、それでもイチローがその年に200本安打を達成し、のちにMLBでの安打記録まで塗り替えるとは思いませんでした。洞察力のすごさに驚くばかりです。