入賞比率の変遷(その2)
スノーボードクロスというのは見ていて面白い競技で(ハーフパイプよりいいかな)藤森が7位入賞であった。スケルトンの越は11位であったが、41歳の現在まで競技生活を続け、五輪に出られるだけでもすごいと思う。
昨日の日記では、6位までの比率変遷で見てみたが、今日はそれを8位まで広げてみることのした。
この8位まで(現在の入賞)の獲得数を、そのオリンピックの競技(金メダル)の数で割った比率をみると下記のとおりである。表は、大会名(年):比率(8位以内/競技数、メダル数)で示す。
- コルチナ/ダンペッツォ(1956年):0.04(1/25、1)、日本初メダル
- スコーバレー (1960年):0.2222(6/27、0)、スケート女子のがんばり
- インスブルック(1964年):0.1176(4/34、0)、フィギュア福原5位、佐藤8位
- グルノーブル (1968年):0.0571(2/35、0)、フィギュア大川8位
- 札幌 (1972年):0.2571(9/35、3)、ジャンプ表彰台独占、リュージュ4,5位
- インスブルック (1976年):0.0270(1/37、0)、女子スケート500m7位
- レークプラシッド(1980年):0.1535(5/38、1)、八木ジャンプ銀
- サラエボ (1984年):0.0256(1/39、1)、北沢500m銀
- カルガリー (1988年):0.1956(9/46、1)
- アルベールビル(1992年):0.2807(16/57、7)
- リレハンメル (1994年):0.3443(21/61、5)
- 長野 (1998年):0.4853(33/68、10)
- ソルトレイク (2002年):0.3462(27/78、2)
- トリノ(2006年2/18朝まで):0.2972(11/37、0)
北沢の銀だけに終わったサラエボ以後、長野まで比率は着実に上昇し、長野では実に0.48、つまり平均して2競技のうち1つには入賞のチャンスがある計算となる。その後はやはり減少に転じ、今回のトリノは0.2972まで下がっている。
やはり長野間での時代と違い、企業の支援が得にくい、スキー場とかスケート場もふるわないなど環境悪化の影響が現れているのであろう。
それでも0.297はアルベールビルとほぼ同水準であるのが興味深い。そこで、アルベールビルのメダルラッシュの背景を考えると、1つは、事前にメダルが期待されていたのが、フィギュアの伊藤みどりとスケートの橋本聖子くらいで、特に伊藤みどりには過剰なプレッシャーがかかっていた。で、前半転倒して4位になるが、フリーでトリプルアクセルを成功させ2位まで上昇し、メダルを獲得。彼女へのプレッシャーはかわいそうなくらいであったがそれでも2位は立派であった。そして、逆に他の選手にはたいしたプレッシャーがかからない状況ではなかっただろうか。そして、この年からメダリストへの報奨金(金だと300万円)制度が出来た。大きなプレッシャーはなく、励みがある状況、それに80年代からの好景気で選手が練習しやすい環境の好条件が加わってのメダルラッシュ、入賞増加ではなかったのだろうか。この好条件は長野までは続いた。
そしてソルトレイク以後は、企業のリストラなどの環境悪化に加え、選手へのプレッシャーが増加し、それに不運も重なってメダルに届きにくく、入賞も減っている状況になっているのだろう。